好きな事を好きなだけやれたら幸せか?仏教の考察

■『仏願』とは「仏の願い」



仏教とは、仏の願いを

私たちの上に満たすことを目的に

説かれています。



私たち衆生の願いを満たす教えではありません。



衆生の願いをかなえても、

衆生は幸せになれないからです。



■「お金があったら、あの車買えるのになー」

「美人だったら、あの人も振り向いてくれるのになー」

「才能があったら、馬鹿にされないのになー」



このように、

「やりたいことができないから不幸なんだ。」

とみんな思っています。



「やりたいことができるようになれば幸せなんだ。」

と思っています。



金さえあればなんでも自由に買える

美人だったら、みんなから大事にされる

才能があれば、仕事も自由に選べる



これが『人間の願い』



「やりたいことが

 やりたいようにできれば幸福だ」



この人生観は正しいでしょうか、



ソクラテスとカリクレスの、

二人の哲学者の対話が

プラトンの著作に記されています。



カリクレスは、

「自然本来の欲望を抑えたりせず、

 広がるままに、

 できる限りその欲を満たすことこそが幸せだ。」

と主張しました



ソクラテスの返答はこうでした。



「甘いものは健康な人にとって

 美味しくてよいものだが

 持病や体質によっては

 悪いものになる。



 また逆に苦いものは、

 通常には悪いものでしかないが、

 病気の人には

 良薬になることがある。」



確かに栄養のバランスを考えず、

好きだから、と

夕食食べずに

マックのポテトやチョコレートなどばかり

『美味しい美味しい』と食べていたら、

体を壊してしまい、

かえって食事の喜びを味わえなくなってしまいます。



わがままな生活は

「一時の快」ではありますが、

自分をプラスにする「本当の快」とはならない、

ソクラテスは喝破したのです。