カズダンスとホイップクリーム


カズのゴール、感動的でしたね。



カズはいつごろから

「キングカズ」と

いわれるようになったのだろう。。。



日本代表の不動のFWだった全盛期には、

「キングカズ」でしたが、

ずっと言われ続けていたわけではありません。



だんだん活躍できなくなり、

いつしかマスコミの話題にも

上らなくなりました。



ところが挫折を繰り返しながらも

現役で走り続けるカズの姿に

尊敬と憧憬の意を込めて

改めて「キングカズ」と

マスコミも選手も呼び始めたんですよね。




W杯に直前で落選しても

若いころのドリブルやスピードは失っても

チームから解雇になっても

J2の試合ででも

ふてくされず、

あきらめず、

戦い続ける男のゴールは

日本代表よりも

今の日本を代表していました。



カズのゴールで思い出したのが

以下に紹介する詩です。



以前も当メルマガでも

紹介したことのある、好きな詩です。




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ホイップクリームの法則」

かき混ぜても
かき混ぜても

かき混ぜても
かき混ぜても
かき混ぜても

ほんの少しの
変化もない

かき混ぜても
かき混ぜても

かき混ぜても
かき混ぜても
かき混ぜても

ぜんぜん
なにも
変わらない

かき混ぜながら
考えはじめる

これは
ほんとうに
ホイップクリーム
素なのか

かき混ぜながら
疑いはじめる

このまま
かき混ぜて
いたら

ほんとうに
ホイップクリーム
なるのか

かき混ぜても
かき混ぜても

かき混ぜても
かき混ぜても
かき混ぜても

こんなに
長く
かき混ぜても

やっぱり
なにも
変わらない

これは
ホイップクリームでは
ない

こんなことを
していても

永遠に
ホイップクリーム
固まらない

そう思って
もう諦めようとした
その瞬間

突然
手ごたえのなかった
ボールのなかで

ホイップクリーム
固まりはじめる

いったん
固まりはじめると
目にも留まらず

あっけないくらい
あっという間に
固まり終わる

かき混ぜ
つづけて
よかった

諦めなくて
よかった

そう思えるのは
固まるまで
かき混ぜつづけた

あなただけ
だから

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好きな事を好きなだけやれたら幸せか〜仏教の考察5


「ほどほどの幸せでいいじゃないか。」

と言われます。



「知足」と言う言葉もあります。



不足ばかり言っていては幸せになれませんよ、

足ることを知りなさい

世界中には飢餓で亡くなる人も多いのに、

日本に生まれ、ちゃんと一日三食食べれるんだし、

感謝しなければならないんだよ



このように

「ほどほどでいい、知足たれ」

といういうことはよく語られますが

問題は「ほどほど」にできるかどうか、です。



 

■日本の首相はくるくる変わって、

外国の人もとても覚えていられないというそうですが、

私はよく思うのですが、

首相になると、あそこまでマスコミから叩かれ、侮辱されねばならないか、

と気の毒になります。



人相が変わるほどですから、

苦労してるのが痛々しいほどです。



そういうのをそばで見ていながら、

それでもあとからあとから成りたがる人っているんですよね。



一議員では満たされず、

市長になりたい、

その辺がほどほどでいいのでは、とアドバイスしても

ここまできたなら県知事に、と

いや、国会議員に、

そのへんでほどほどにしといたら、といっても耳を貸さず、

大臣に

大臣になると、今度は首相になりたくなる



権力の階段をもっともっとと上ってゆく。



■早々に売ればよかったのに

「まだまだ上がる?」

と持ち株を手放せず、

リーマンショックで大暴落して大損した人がいます。



ほどほどの儲けで満足していればよかったのに・・



こうなると、

「いまさら悔しくて売れるか。

 また株価回復するのでは。」

とあてにならない展望で

株を未だに持ち続けています。



【わかっちゃいるけど止められない。】



ここに悲しい人間の実態があります。



だからこそ仏願が建立されたのでした。

好きな事を好きなだけやれたら幸せか〜仏教の考察4


■“平和が大嫌い”


と言っている者が、

戦争を始めるのではありません。



世界の歴史を見ると、

平和を強く叫んでいた者が、

人殺ししたり

戦争を起こしています。



戦争を始める人の決まった言い分は

「平和を守るため」です。



■職場でも誰かを非難中傷する人は

「あの人がいると職場がうまくいかない」

と言うものです。



本当はその人がいると、

職場がうまくいかないのではなくて、

自分がうまくいかないだけなのに・・・



■私たちは自分にとって都合の悪い人、

たとえば、

この人がいると儲からない、とか

この人が邪魔で自分の意見が通らない、とか

そういう人を非難するときは

「みんなが迷惑している」

「あの人をこのままにしていてはよくならない」

と言い出すのです。



親鸞聖人のお言葉に

『愛憎違順(あいぞういじゅん)することは

 高峯岳山(こうぶがくさん)に異ならず』

という言葉があります。



順う者は愛して近づける

違う者は憎んで遠ざける

ということです。



言うことを聞いてくれる人、

自分の欲を満たしてくれる人は

「好き」

「いつまでも一緒にいたい」

そして何とか近づけようとする、

重宝しようとする



自分に苦言を呈するもの

自分の欲を満たすに都合悪い人は

「嫌い」

「はやくいなくなれ」

なんとか視界から消えてほしいと画策する。



「そんな心は高く大きく、

 高峯岳山と変わらない。

 なんと浅ましい親鸞だろう。」

親鸞聖人は懺悔されています。



自分の思い通りになる世界は

知らず知らずのうちに欲が肥大化して

醜態をさらす、恐ろしい世界だと感じます。

好きな事を好きなだけやれたら幸せか〜仏教の考察3


親鸞聖人は

「権力者に近づいて仏法を広めるようなことを考えるな」

と言われています。



権力者はいかに残酷で横暴で身勝手なものか、

知られてのお言葉でしょう。





■あなたの周りにも嫌いな人、

あるいは苦手な人、

ってあると思います。



職場にも家庭にも

そんな人は出てきます。



本音を言えば、「その人はいなくなってほしい」のですが、

そんなわがままは通るものではなく、

我慢して付き合っています。



ところが権力者は横暴ですから

「お前、嫌いだからあっち行け。」

と言えてしまうのです。



■権力を握った人間が、

政敵や知識人を『粛清』するのは

古今東西の歴史上、

よく見られることです。



スターリン毛沢東

権力を握ってからは

自分の批判分子を何千万人と殺しています。



都合悪くなれば、

親兄弟でも粛清の対象です。



そして自分の言うことを聞き、

思い通りに扱えるイエスマンばかりで固める



私たちは権力がありませんから、

自分のやることを批判したり、

陰で悪口言う人がいても

何もできません。



もし私たちのような者が

自分のことを賛同する人だけを重宝したり、

批判する者を排斥したりすると、

それこそすぐに

「何様のつもりだ。」

とブーイングがおきて、

問題になります。



しかし権力者はできてしまうのです。



文句言える人は誰もいませんから。



やりたい放題でも誰も逆らえません。



秀吉は自分の家来の奥方を物色して

自由にするという趣味があったそうですが

そんな無神経な振る舞いも、

それを咎める者はいないので、

本人も自分の身勝手さにもう気づきません。



■それら権力者も

横暴の限りを尽くした報いは

やがて一身に受けねばなりません。



周りを気遣ったり、

思いやる心も見失い、

感謝の心も忘れ、

すさんだ心になり、

尊敬はされず、

多くの人の恨みをかい、

自業自得で苦しんでいきます。



歴史上かって権勢をほしいままにした権力者の末路が

それを証明しています。

好きな事を好きなだけ垂れたら幸せか〜仏教の考察2


■「好きなことを好きなだけできれば幸せだ」

という人生は

みなの憧れですが、

この人生観に問題はないでしょうか?



何回かに分けて考察しています。



■人間の体は飢餓には強いが、

過食には弱い

といわれています。



氷河時代を含む何十万年に及ぶ

人類の歴史は、

おおよそ飢餓との戦いの歴史でした。



日本でも一日三食になったのは

江戸元禄期からです。



まして「飽食」などというのは

先進国で、つい最近のことですから

人間の体はそれに対応できるシステムを

もっていないのです。



■こんな話を聞きました。

ナチスに占領された当時のオランダのことです。



食糧事情が悪くなったせいで

成人病患者がいなくなったそうです。



しかし餓死者が出るほどの水準でもなかったので、

かえって住民の健康水準が向上し

平均寿命が延びることとなったというのです。



■『ハングリー精神』といわれるように、

人間の精神にも同じことがいえるのでしょう。



以下は、学生時代に聞いたことですが、

今も心に残ってます


=====

人をだめにしようと思ったら

どうすればいいか?



時間と金を奪えば、

人はダメになるのではない。



逆だ。



人をダメにしようと思えば、

その人に時間とお金を

ふんだんに与えることだ。


=====


時間が有り余っていて

ヒマでヒマでしょうがない、

しかも湯水のごとく

使えるお金があるとしたら、

私だったらどうなってしまうだろう、

と考えてみます。



どこどこまでも脱線して、

ろくでもないことを

し始めるのではなかろうか、

と確かに危うく思います。。



時間もない、

使える金も限られている、

そんな中、寸暇を惜しんで

努める仕事だからこそ、

イデアも湧くし、

気力も充実するのでしょう。