好きな事を好きなだけやれたら幸せか〜仏教の考察5


「ほどほどの幸せでいいじゃないか。」

と言われます。



「知足」と言う言葉もあります。



不足ばかり言っていては幸せになれませんよ、

足ることを知りなさい

世界中には飢餓で亡くなる人も多いのに、

日本に生まれ、ちゃんと一日三食食べれるんだし、

感謝しなければならないんだよ



このように

「ほどほどでいい、知足たれ」

といういうことはよく語られますが

問題は「ほどほど」にできるかどうか、です。



 

■日本の首相はくるくる変わって、

外国の人もとても覚えていられないというそうですが、

私はよく思うのですが、

首相になると、あそこまでマスコミから叩かれ、侮辱されねばならないか、

と気の毒になります。



人相が変わるほどですから、

苦労してるのが痛々しいほどです。



そういうのをそばで見ていながら、

それでもあとからあとから成りたがる人っているんですよね。



一議員では満たされず、

市長になりたい、

その辺がほどほどでいいのでは、とアドバイスしても

ここまできたなら県知事に、と

いや、国会議員に、

そのへんでほどほどにしといたら、といっても耳を貸さず、

大臣に

大臣になると、今度は首相になりたくなる



権力の階段をもっともっとと上ってゆく。



■早々に売ればよかったのに

「まだまだ上がる?」

と持ち株を手放せず、

リーマンショックで大暴落して大損した人がいます。



ほどほどの儲けで満足していればよかったのに・・



こうなると、

「いまさら悔しくて売れるか。

 また株価回復するのでは。」

とあてにならない展望で

株を未だに持ち続けています。



【わかっちゃいるけど止められない。】



ここに悲しい人間の実態があります。



だからこそ仏願が建立されたのでした。