好きな事を好きなだけやれたら幸せか〜仏教の考察3
■親鸞聖人は
「権力者に近づいて仏法を広めるようなことを考えるな」
と言われています。
権力者はいかに残酷で横暴で身勝手なものか、
知られてのお言葉でしょう。
■あなたの周りにも嫌いな人、
あるいは苦手な人、
ってあると思います。
職場にも家庭にも
そんな人は出てきます。
本音を言えば、「その人はいなくなってほしい」のですが、
そんなわがままは通るものではなく、
我慢して付き合っています。
ところが権力者は横暴ですから
「お前、嫌いだからあっち行け。」
と言えてしまうのです。
■権力を握った人間が、
政敵や知識人を『粛清』するのは
古今東西の歴史上、
よく見られることです。
権力を握ってからは
自分の批判分子を何千万人と殺しています。
都合悪くなれば、
親兄弟でも粛清の対象です。
そして自分の言うことを聞き、
思い通りに扱えるイエスマンばかりで固める
私たちは権力がありませんから、
自分のやることを批判したり、
陰で悪口言う人がいても
何もできません。
もし私たちのような者が
自分のことを賛同する人だけを重宝したり、
批判する者を排斥したりすると、
それこそすぐに
「何様のつもりだ。」
とブーイングがおきて、
問題になります。
しかし権力者はできてしまうのです。
文句言える人は誰もいませんから。
やりたい放題でも誰も逆らえません。
秀吉は自分の家来の奥方を物色して
自由にするという趣味があったそうですが
そんな無神経な振る舞いも、
それを咎める者はいないので、
本人も自分の身勝手さにもう気づきません。
■それら権力者も
横暴の限りを尽くした報いは
やがて一身に受けねばなりません。
周りを気遣ったり、
思いやる心も見失い、
感謝の心も忘れ、
すさんだ心になり、
尊敬はされず、
多くの人の恨みをかい、
自業自得で苦しんでいきます。
歴史上かって権勢をほしいままにした権力者の末路が
それを証明しています。